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食事を変えてみんなで健康になろう。食事と健康は多くの人にとって一生切り離せない大事なテーマです。 食べることで体が作られ、その健康状態を維持するための重要な要素もまた食事。毎日の食事から健康になるのが1番ですよね。

昔の人は健康だった?戦国時代の食事事情を見てみよう!

      2017/09/08

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私たちの生きる現代社会に限らずどの時代背景にも“衣・食・住”が存在していたわけですが、今日の日本は世界各国の料理をその土地へ訪れることなく食べることができ“食事”は日常生活の中のツールの一部としてごく自然と生活の中に溶け込んでいます。お金さえ払えば食べたい時に食べたいだけ食事が出来る言わば“飽食の時代”と言われているほど食文化は時代とともに変化し進化し続けています。

戦国時代の食事事情

“飽食”と一言でいってしまうと“栄養もたっぷり摂れている状態”をイメージされる方も多いのではないでしょうか?確かにたっぷり摂れているのです…カロリーにおいては。

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しかし、栄養バランスのことを考えたらどうでしょう…。実は現代社会においてまさかの“栄養失調”なんてことも現実問題に起きていることを皆さんご存じでしたか?食べ物に溢れている現代に栄養失調とは考えにくいでしょうが、結局バランスの良い食事ができていないのが原因だと言われているようです。理由はさまざまあるのでしょうが和食中心だった頃に比べ、欧米スタイルの食事が多くなったことなどが大きな理由の一つです。

偏った食事をする人が多くなったので一昔前まで“成人病”と言われていたものが“生活習慣病”と呼び名が変わってしまうくらい生活スタイルが変化してきたのです。では、私たちの遠い祖先はどんな時代背景の中でどんな“食事”をしていたのでしょうか…今回は戦国時代の食事について、ひも解いてみたいと思います。

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戦国時代の様子は?

まさしく“戦う国の時代”の名の如く、この時代は全国各地で慢性的な紛争が度々起こり戦の続く時代でした。土地の奪い合い、因縁、など…度重なる戦の日々と天災による被害で空腹や渇きそして飢え死にする人がかなり多く、それによる疫病も流行ったりしたようです。

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戦をするトップ、すなわち領主は自分が領主として君臨し続けるには、自分の国の庶民をある程度“食”というツールで繋ぎとめておく必要があったとされています。戦をするには人手が何よりの戦力になります。戦での貴重な戦力である庶民のお腹をある程度満たしていれば内乱(一揆)のような不満が爆発したり、また隣国のもっと条件のいい領主に鞍替えされたりしないで済みます。そうすることで次の戦へと立ち向かうができるのです。

戦に勝てば勝つほどその領国は潤い豊かになりますね。庶民といってもこの時代農民の方が多かったでしょうが、貧しいこの時代“戦へ行けばご飯にありつける”ということで、なんと!子ども連れで戦場に出向く人も多かったそうです。

領主も貴重な食料を確保するのが必死ですので

「頼むから子どもを連れてくるな!!」

…と言いそれに対し農民サイドも黙ってはいません。

「いやいや、この子たちは将来いい戦力になりますので社会勉強に連れてきました!!」」

…という掛け合いがあったほどだとか。食事というツールを使っての駆け引き、どちらも生き抜く為に必死でした。

戦に欠かせないミリ飯

きっとミリ飯って何?!と思われた方もいますよね?戦をしながら食べられることのできる簡単に持ち運びができて保存ができてカロリーと栄養が摂れる 今でいう“携帯食”です。

戦場では当然ながら複雑な調理はできませんので“早い!簡単!お腹いっぱい!!”がミリタリー飯の鉄則です。なんだか某食品メーカーのキャッチコピーのようなフレーズですね。さらに“早くて簡単でお腹いっぱい”に“美味しさ”も加われば尚いいのでしょうが、きっとミリタリー飯に美味しさを求めてはいけないでしょうね。

現代で言えば、缶詰やレトルトパウチといったものが浮かびますが、では当時の人たちは具体的に何を食べていたのでしょうか?!

穀物

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まず紹介するものは一番想像しやすいものではないでしょうか?「きび」「あわ」「ひえ」などを主食として当時の方は食べていました。当時農民が作っていたお米は「大唐米」と呼ばれる赤米が主流でした。この大唐米は、収穫量が多く、安く作れるお米だったそうです。

しかし、このお米味は美味しいとはいえない風味だったようです。農民はこのお米を売って「あわ」「ひえ」を購入していたといわれています。その方が量を増やすことができてたくさん食べることが出来るからだと考えられています。

普段の食事ではさらに“雑炊”にして分量を増やし食べていたようです。

「とにかく質より量!!」だったということですね。この“質より量”を裏付ける話を見つけました。実は当時、新米よりも古米の方が高く売買されていたそうなのです。なぜ、古米の方が高値で取引されていたのか…。

その理由は諸説あるようですが、その一つは、新米を炊く際は水を少なくして炊くことに対し古米を炊く時には水を多く入れて炊くことにより結果、古米より新米の方の量が増えるそうなのです。その為、当時の人は古米を好んで売買していたそうです。

先ほどお話しました戦の時の“ミリタリーご飯”では、穀物に火を通し乾燥させた炒米・干飯などを常備しながら戦へ参戦していたようです。乾燥した状態のものをそのまま齧るのもよし、お湯で戻して柔らかくして雑炊やお茶漬けのように食べたりもしたようです。

焼き味噌

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photo by マルカワみそ

味噌のルーツはいつからか調べてみたところ、こちらも諸説あるようで「飛鳥時代に中国から日本に伝わった説」「縄文時代から保存を良くしようと考えられ生まれた説」などがありました。ということは、飛鳥時代にしろ、縄文時代にしろ、どちらにしても戦国時代にはすでに定番調味料になっていたと考えられます。発酵食品なのでそのままでは腐ってしまうしカビが生えてしまうので味噌を焼き、丸めて“味噌玉”にして持ち歩いたといわれています。

辛い戦いの合間に味噌玉を食べ、時にはお湯と味噌玉で即席みそ汁にして食べていたのではないでしょうか。味噌の中には、たんぱく質やビタミン、ミネラルが含まれています。この3つは人が生きていくために欠かせない栄養素なので、重い甲冑を着込んで戦いをしていた当時の人たちにとっても、欠かせない食材であり、貴重な栄養源だったことでしょう。

いもがら縄

いもがら縄とは鎌倉時代から戦国時代末期にかけて戦の時に携帯されていた食物です。芋の茎などを帯のように長く編んで味噌で煮しめて作ります。通常、戦の時は兵士が腰に巻きつけて所持します。芋がらも味噌も食材ですのでそのまま携帯食として食す時もあれば、必要な分をちぎって水とともに鍋へ入れ加熱して染み込んでいた味噌をとかし、味噌汁を作る場合もあったようです。縄のように持ち歩きに優れ、即席の味噌汁にもなるまさしく究極のミリタリー飯の一つですね。

梅干し

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こちらの食材は保存食としては鉄板ですね。重い甲冑を着込んで戦いをするとなると相当な体力と心身の疲労、そして大量の汗をかいていたことでしょう。梅干しに含まれる塩分やクエン酸は疲れを和らげ体力の回復に一役かったのではないでしょうか。

また、食べるだけではなく、飲料水や傷口の消毒にも用いたようです。おかずとしてだけではもったいない!!現代でいうサプリメントや消毒液のような働きもしていたのですね。

鶏卵

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野生の鳥を捕まえ卵を産ませて手に入れていたようです。藁で編んだ包みなどに保存をするとなんと20日ほど日持ちすることができたそうで更に、新鮮な卵の殻膜はなんと!!今でいう絆創膏の役割もはたしていたそうで、負傷した傷口に貼って保護していたそうです。

干し柿

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乾燥しているので携帯するにはもってこいの食材です。干し柿にはビタミンCとポリフェノールが含まれています。干し柿は甘みもあるので疲れた身体を戦の合間に干し柿で癒していたのかもしれませんね。更に干し柿の周りに吹き出る白い粉(糖分)やヘタを砕粉したものは、止血剤や喘息止めの漢方薬として使われていたそうです。

戦国時代と現代を繋ぐ食事のルーツ

さてこれまで戦国時代のミリタリー飯をご紹介してきました。当時、ミリタリー飯として食べられていた物は、今現在も私たちが食べている物も数多くあり、上記以外にも、高野豆腐や切干大根、餅類なども食べられていたそうで、現在の食事と繋がるものがあることがわかりました。そして驚くことに私たちが生まれてきてごく当たり前にしている“食事のあること”が、実はこの時代から生まれたということはご存じでしょうか?

それは「一日三食、食事をすること」です。一日三食食事を摂ることを不思議に感じたことがある人は少ないですよね。なぜ戦国時代がはじまりだと言われているのでしょうか?

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戦いの合間は、ミリタリー飯を食べていますが、いつも戦があったわけではありません。緊迫状態ではない時の食事は朝と夕の2回が一般的だったそうです。戦といっても戦う以外にも陣地の構築など、土木作業も多かったようで、重労働の兵士たちはこの2回の食事に夜食がつき、一日3回の食事を摂っていたそうです。

この流れがのちに江戸の文化の一部となり、こうして今現在の私たちの生活の一部として定着しているようなのです。戦いの合間もいつ始まるか分からないのでまず朝一番に朝ご飯と夕ご飯分を一緒に炊きます。昼間の間に戦が行われることが多いので夕ご飯の準備までできないというのです。

まるで日中働く主婦のような状況ですね…。夜は基本、戦は休戦なのですが“夜襲”ということもしばしば起きるので夜食用にご飯を炊いて腹ごしらえをしてから眠りについていたそうです。

気づかれましたか?そうです!朝と夕方は温かいご飯で昼間は非常食(お弁当)を食べる。まるで今の私たちの生活スタイルと変わらないのです。今私たちの過ごす現代においてごく自然に受け入れている“和食の原型”“一日三食”など「食のルーツ」が実はこんなに昔から今現在と繋がっていて奥深いものだったことに驚愕です。

日中はパソコンの前に座り、夜になると眠るばかり…そんな生活をしているのに、戦国時代よりも糖質、塩分、カロリーが上回る食事を摂っていたら、それはたしかに肥満や不健康につながるというものですね。

戦国武将たちの好んで食べたものとは?

「腹が減っては戦はできぬ」という言葉もある程なので、さぞ有名な戦国武将たちはグルメで肉食系だったのかと思いきや実はみんながみんなそうでもなかったようなのです。

毛利元就 没75歳

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最初の戦国武将は毛利元就。「三本の矢の教え」でも有名ですね。一代で中国地方ほぼ全域を支配下に置き知将とも言われた元就が常に持ち歩き手放さなかったといわれているものは“餅”だそうです。

白米より餅の方が腹もちもよく滋養強壮に優れた食物なので長い合戦でもスタミナ切れをすることなく持久力を保つことができたようです。更に元就は若い頃から健康に気を遣っていたようです。というのも、祖父も父も早くに亡くしており、その早死の原因は“大酒飲みのように健康を害するような行動のせい”だと思っていたようです。

そのため、元就はお酒を飲まなかったそうです。しかし、家臣には禁酒を勧めることはなく、人を招待する時は酒好きな人には酒を、酒を飲まない人には餅を振る舞ったとされています。

また、魚好きで特に“鯛”が好物だったようです。

今の時代日本の平均寿命も男女ともに80歳を超える時代となりましたが、戦国時代に生きた元就は、75歳まで生きたとされています。お酒を飲むことなく、魚と餅を中心とした栄養バランスの良い食事を好んで健康に気を使っていたからこそ、71歳でも9人の子宝に恵まれ長寿だったのでしょうね。餅パワー恐るべし…。

上杉謙信 没49歳

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越後の虎や越後の龍と言われている上杉謙信。食事は通常一汁一菜の質素な食事だったと言われています。謙信の好物は“梅干し”と言われているところからもいかに質素な食事をしていたかがわかりますね。

味つけは濃いものを好んだようで特に塩辛いものが好きだったようです。しかし、出陣の時はご飯を山のように炊かせ、山海の幸をふんだんに使った豪華な「かちどき飯」と呼ばれるものを部下の兵士たちに振る舞ったそうです。まさしく“腹が減っては戦はできぬ”ですね。質素な暮らしをしていたもの、49歳という若い年齢で脳溢血でなくなってしまったそうです。


伊達政宗 没69歳

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今までご紹介してきた元就や謙信のように質素な食事を好んだ戦国武将もいれば逆に質素とは程遠い食生活を送っていた武将もいました。それが伊達政宗です。

「少しも料理心なきはつたなき心なり」という名言を残しています。“少しも料理の心得がない者は貧しき心の持ち主だ”という意味なのですが、まさしく政宗は自ら台所に立って料理をしたり、新しい料理を作ってみたり、今でいう創作料理も得意だったようです。

元々の料理好きのきっかけは、先ほどお伝えしたミリタリー飯だそうですよ。現在も残る“凍り豆腐”や“仙台味噌”“仙台名物 ずんだもち”も政宗考案だというので驚きです。仙台味噌は、朝鮮出兵の時に他の武将が持参した味噌は夏場の暑さと湿気で腐ってしまったのに対し、伊達家の仙台味噌だけは腐ることなく、他藩がどうか分けてくれ!と頼み込んだとされる品質の高い味噌だったそうです。

ちなみにお正月に食べる“伊達巻き”の“伊達”は政宗の好物だったのでこの名が付いたとされています。政宗は正月に料理を出したそうですが、三汁十六菜もある本膳を中心としたそれは立派なものだったようで伊勢海老やいくらのような山海の珍味をたくさん盛り込んだ豪華なものだったそうです。なので政宗はどれかを好んで食べ続けていたわけではなく、新しいものを次々に追及した戦国武将随一のグルメ男子だったのでしょうね。

さて戦国時代の食について…いかがでしたでしょうか?遠い昔の時代のことなのですが、食べている物や食事の習慣などは現代にも繋がるものがあり確実に浸透しています。むしろ違和感もないくらいにごく自然に私たちの生活の一部になっているのは面白いです。

戦国の時代も現代も環境は違っても食に対して求めるものは同じなのかもしれませんね。